こんにちは。@makicamel(川原万季)と@coe401_(塩井美咲)です。
2025年4月16〜18日の3日間、愛媛県は松山市に1,500人を超えるRubyistが集い、RubyKaigi 2025が開催されました。本当に楽しかったですね。
そんなKaigiの興奮覚めやらぬ翌日翌々日、つまりDay 4 & 5にわたしたちは愛媛のお隣、高知県内にある沢田マンションへ行ってきました。貴重な経験だったので、SmartHR Tech Blogのスペースをお借りして、沢田マンションツアーをレポートしたいと思います。
目次
- 目次
- 沢田マンションとは?
- RubyKaigi 2023で出会った「無名の質」
- 沢マンツアー 2025参加メンバー
- 沢マンツアー 2025スタート
- ひげの山男
- Hello, 沢マン!
- スロープから見るダイナミックな増改築
- すべての階が地面の上にいるようなマンション
- 陽の光を取り込むマンション
- 剥き出しの配管
- 複雑な動線が持つ味わい
- コミュニケーションの装置としての椅子
- 屋上に残る、かつての建築機材
- 住むように泊まる部屋
- 沢マンで過ごす夜
- チェックアウト、そして日常へ
- ものづくりにおける沢マン
- 謝辞
- 参考文献
- 『パターン、Wiki、XP』にご興味を持ってくださった方への参考文献
沢田マンションとは?
沢田マンションは世界最大級のセルフビルド建築です。セルフビルドとは文字通りで、オーナーである沢田嘉農、裕江夫妻の手によって建てられました。着工は1971年。地下1階地上6階建てで約70戸、鉄筋コンクリート造の建物です。3階まで車でのぼれるスロープが延び、4階にある池では鯉が泳ぎ、5階の庭ではニワトリやカメ、ブタが飼われ、屋上には畑が広がり、収穫した野菜は1階のショップで販売されています。
破天荒な建物ですが、これだけでは「テック」ブログでレポートする理由がわかりませんね。ツアーの詳細に移る前に、どうしてわたしたちが沢田マンションを訪れるに至ったかに触れたいと思います。
RubyKaigi 2023で出会った「無名の質」
遡ること5年前。コロナ禍の状況を鑑みて2020年、2021年のRubyKaigiはオンライン開催されました。2022年にはオフラインとオンラインでのハイブリッド開催となりましたが、まだ自粛ムードの漂う中の開催となり、筆者の一人である@makicamelも現地参加を見送りました。
そして翌年、2023年のRubyKaigiは2020年の候補地だった松本で開催され、@makicamelも現地参加しました。ハイブリッド開催でしたが多くのRubyistが松本に集い、オフィシャルパーティやドリンクアップも復活して「RubyKaigiが帰ってきた」という声が多く聞かれました。
オフラインの体験はオンラインのそれとは全く異なります。Rubyistがひとつの町に集まってくる。RubyKaigiに歓迎され、町を歩いても蕎麦屋やカフェに入っても周りはRubyistばかり。@makicamelもトークを聞いて奮い立ったり、感想をスピーカーに伝えたり、parse.yを開いてなんもわからんとなったり、友人たちと人生の話をしたりしました。最高なのですが、最高の中身を説明すると取りこぼしそうで、それを@kakutaniさんに訴えたところ、「無名の質」という言葉を教えてもらいました。
twitter.comきのう、@makicamel が”RubyKaigiめっちゃいいんですけど、良すぎて言葉にできない!!!!”と、RubyKaigiが完全にキマっていたので、そのFeelingには「無名の質(Quality without a name)」という名前がついていますよ、と教えてあげた #rubykaigi
— Kakutani Shintaro (@kakutani) 2023年5月12日
「無名の質1」(Quality Without A Name, QWAN)は、建築家クリストファー・アレグザンダーによって提唱されました。彼は自然にできた古い都市や街並みが備える、建物や空間が生き生きと調和した感じのことを「無名の質」と名付け、これを備えた建築を作りたいと考えていました。
このアレグザンダーの理論に端を発し考案されたのが、わたしたちプログラマーに馴染み深い「デザインパターン」「XP」(エクストリームプログラミング)そして「Wiki」です。この歴史を紐解く物語はメディアアーティスト江渡浩一郎(@eto)さんの著作『パターン、Wiki、XP』に詳しく綴られています。上記のツイート(ポスト)をきっかけに、地域Rubyコミュニティ中央総武.rbにて『パターン、Wiki、XP』を1年間かけてじっくり味わう読書会が開催されました。
今回のツアーの目的地である沢田マンションは、この「無名の質」を体現する建物です。
コラム:空間の継承とRubyKaigiの原点、沢田マンションの今をめぐって〜その①(@eto)
RubyKaigi 2025、成功おめでとうございます。そして本当にお疲れ様でした。とても楽しいイベントでした。
私にとっては、7年ぶりのRubyKaigi参加でした。私にとってRubyKaigiは"ホーム"なので、7年間実家に帰っていなかったような感覚でした。
そして7年ぶりに参加してみると、その成長ぶりに驚きました。ものすごい数の参加者、外国人もたくさん、参加者の半数近くが初参加、スポンサー数も爆上がり。これだけRubyKaigiが愛されていることを知って、驚いておりました。
TRICK
TRICKとは、超絶技巧をこらしたRubyのコードのコンテストです。私は今回このTRICKの審査員を務めさせていただきました。審査員枠でスピーカー扱いとして参加させていただきました。
TRICK、本当に楽しかったですね。いわゆる"超絶変態コード"を審査するコンテストなので、審査する側も大変でした。でも、こんな面白い仕事を最前線で担当させてもらえるなんて、これ以上ない喜びです。本当にありがとうございます。
審査員の中で、私は唯一の「テック寄りではない」タイプの人間だったと思います。いわゆる"多様性枠"ですね。私は「技術的なすごさ」よりも、「見てわかるコードの美しさ」「実行結果の美しさ」といった観点で審査しました。
そういう意味で、今回の@tompngさんの「波の音がする作品」(Seashore)は素晴らしかった。
念のために書いておきますが、審査時点では作者はわかりません。ですが、蓋を開けてみたら、上位5作品のうち3つが@tompngさんの作品だったというのは、まさに驚きでした。ただ、この波の音の作品は@tompngさんではないかなという予感はありました。というのも、前回のTRICKの際に「次回はぜひ"音"にチャレンジしてほしい」と審査コメントで書いたからです。
その意味でも、今回見事に美しい音を聴かせていただけたこと、心から感謝しています。
RubyKaigiの原点
先述した「私にとってRubyKaigiは"ホーム"」だということについて、これまであまり説明してきませんでした。
RubyKaigiは私が作ったと書いたことがありますが、もしかしたら単なる冗談と思われているのかもしれないと思っています。ここでは、その発足の経緯がどのようなものだったかを書いておこうと思っています。
RubyKaigiの初回は、2006年です。正式名称としては「日本Rubyカンファレンス2006」、通称は「RubyKaigi 2006」。日付は2006年6月10〜11日。場所は、お台場の産業技術総合研究所臨海副都心センター別館11階。

私がRubyKaigiに関わったきっかけは、当時開催されていたRails勉強会で、高橋(@takahashim)さん、ささだ(@ko1)さんから今度日本Rubyカンファレンスを開催したいという相談を受けたことです。
当時すでにアメリカではRubyConfが開催されていて、なぜ日本ではRubyのカンファレンスが開かれていないのかと思っていた私は、これは素晴らしいと思いました。同時に、あと数ヶ月後に開催が控えているのに、ほとんど何も決まっていなかったことに驚いた記憶があります。そもそもどんな方向性にするのかといったこともあまり決まっておらず、さすがにそれはまずいんじゃないかと思いました。ささださんには「江渡さんに怒られた」とどこかで書かれていましたが、怒った記憶はないが、正直な意見を述べた記憶があります。その後で、いくつか方向性を提案しました。
プログラム委員長と運営委員長の分離
1つは、プログラム委員長と運営委員長の分離。プログラム委員長は良いプログラムを実現させることに全力を注ぐ。運営委員長は、良い運営に専念する。実は、この両者は場合によっては相反する要素も備えており、1人で両方をやると、コンフリクトが生じる可能性がある。それが分離をするべき理由でした。
全員招待講演の第1回
次に、そもそもあと数ヶ月しか残っていない期間の中で成功させるためには、プログラムは公募形式じゃなく招待形式にしようと提案しました。「全員招待講演」というコンセプトです。当時のRubyを支えていた開発者を全員でリストアップし、多くの人が挙げた開発者に上から順番に声をかけていく。この方法で、全て招待枠でスピーカーを設定していきました。
このようにして、Rubyと言えばすぐに出てくる名前の人が第1回カンファレンスで名をつらねているのを見て、そのような場だったら自分も発表したいと思う人が第2回以降は現れるはずなので、第2回以降は公募形式で発表を募集する。このような流れを考えました。
この想定はかなりうまくいき、第1回の発表者は見返してもらうとわかりますが、鏘々たるRuby関係者が集まる会議となりました。
基調講演には、Railsの作者として知られるDHH(@dhh)をお呼びしました。部分的に国際色あるが、どちらかというと日本語主体の会議という立て付けになっていました。
RubyKaigiの「質」
もう1つは、それほどうまく言葉にはならないが、この会議をどれだけ魂がこもったものにするか、どのように会議の質を高めるのかといったことについて、創設メンバーのみんなで議論をして煮詰めていったのを覚えています。
例えば、あなたはどの国からやってきたのか、どの地方からやってきたのかを示す大きな世界地図と日本地図を貼るということ。会議の終了後には、運営がみんな手を振って見送るということ。今だと当たり前のものとして思われているかもしれない、そういったことを決めて実践しました。
その段階で、角谷(@kakutani)さんを含めた創設メンバーが、どのように会議の質を高めるのかといったことを議論していったという風に記憶しています。
実は私はカンファレンスオタクなんです。さまざまなカンファレンスに出ては、このカンファレンスのこの運営はこう良くて、これは良くないみたいなことを、ひそかに1人で分析していた。そのように頭の中で考えていた、「僕が考えた最強のカンファレンス」を実現した最初の一つがRubyKaigi、二つ目がニコニコ学会βだったということです。
私自身が直接会議の運営に関わったのは、第2回あたりまでだったと記憶しています。その後は、会議の運営からは外れています。その話はまたいずれ。
その私が抜けた穴を埋めたのが、角谷さんだったと認識しています。何しろ運営を抜けてるので、具体的にどのような働きをしていたのかの細かいところまではわからないですが、その後も非常に高いクオリティの会議が続けられていた。そして多くの人が知っているように、日本Ruby会議2011の開催をもって一度は終了することになったという経緯があります。その後1年の休憩を経てRubyKaigiとしてリブートし、現在に至るまで続いているという流れになります。
このようなRubyKaigiの創設の経緯については、実はほとんど明らかになっていないのではないかなと考えています。
RubyKaigiの創設の周辺にいたメンバーで考えていたのは、クリストファー・アレグサンダーの思想、無名の質をどう実現するかということです。この問いについて研究した一連の成果の一つが『パターン、Wiki、XP』であり、もう一つがRubyKaigiだったと私は思っています。角谷さんがRubyKaigiの素晴らしさを「無名の質」という言葉で表現していたのは、実はすごく適切な説明だったのだ、ということになります。
沢マンツアー 2025参加メンバー
時を現在に戻して2025年。RubyKaigiのチーフオーガナイザーである@amatsuda(松田明)さんは、『パターン、Wiki、XP』の熱烈な愛読者だったこともあって、10年前から沢田マンションツアー、略して沢マンツアーをやりたいと考えていました。そんな折、偶然にもRubyKaigiのため関係者が松山に集います。
『パターン、Wiki、XP』の著者である@etoさんはTRICKの審査のためRubyKaigi 2025に参加。同書の編集をした@inao(稲尾尚徳)さんは現在はSmartHRのDevRelとなり参加。同書のレビュワーであり、ソフトウェア開発の文脈に沢田マンションを紹介した@kkd(懸田剛)さんは松山在住のRubyKaigi 2025ローカルオーガナイザー。
このメンバーが揃う絶好の機会に、さらに『パターン、Wiki、XP』読書会のセンター(主となる読み手)であった@makicamelと、同読書会の皆勤メンバー兼同読書会完走後に始まり、現在開催している『エクストリームプログラミング』読書会のセンターである@coe401_にもお声がかかり、10年越しの沢マンツアーが実現することとなったのでした。
沢マンツアー 2025スタート
それでは早速ツアーを始めましょう。
沢マンツアー 2025は松山のバスターミナル集合で幕を開けます。
RubyKaigi Day3の夜もそれぞれ盛り上がったことと思いますが、なんと全員遅刻せず集まりました。
ひげの山男
高知市までは約2時間半。バスを降りるとなんとそこには「高知の観光地」にきていた「ひげの山男」こと@tenderloveさんが。街中にRubyistが溢れているのがRubyKaigiの醍醐味のひとつ、とはいえすごい邂逅です。
折角なのでみんなでランチを頂きます。高知の食が集まるひろめ市場に移動して、目の前で豪快に炙られる鰹の藁焼きを頂きます。
Hello, 沢マン!
高知の食に舌鼓を打ち、市場内を散策した後は、@tenderloveさんと別れて沢マンへ向かいます。タクシーに乗り込み約10分、ついに沢マンがその姿を現しました。
スロープから見るダイナミックな増改築
まずは一際目立つスロープをのぼります。この大きなスロープは沢マンが初めて作られた時には存在せず、5階の自宅の玄関まで自動車で乗り付けたいという嘉農さんの夢のために一部の住戸を壊して作られました。数年後には2階の住戸の日当たりをよくするためにさらに作り替えられています。
このようにダイナミックな増改築が沢マンの大きな特徴のひとつです。作って終わりではなく、一旦の完成を見た後もスロープを作ったり、池を作ったり、2戸の部屋を1戸にしたり、生き物が新陳代謝をするようにして沢マンは今の形になりました。
すべての階が地面の上にいるようなマンション
次に特徴的なのは緑の多さです。各階の通路には花壇が備えられ、花や野菜が植えられています(この花壇も後から作られました)。その多くは少し高い位置に作られていて生活の中で自然に緑を感じやすく、手入れもしやすくなっています。この風景は「すべての階が地面の上にいるようなマンションにしたい」という嘉農さんのイメージから生まれました。
冒頭で紹介したように、5階には庭、屋上には畑も広がっています。屋上緑化という概念が広まるより前に、沢マンには畑が広がっていました。
コラム:2008年の沢田マンションとの比較(@kkd)
筆者(@kkd)の沢田マンション訪問は、今回で6回目、宿泊は2回目となります。本コラムでは、初めて宿泊した2008年の沢田マンション訪問時との比較を簡単にまとめましたので、参考にしてください。ちなみに、2008年訪問時のインプレッションは、私のブログ記事にまとめています。こちらもよろしければお読みください。
外装の変化
まずわかりやすいマンションの外装についての変化です。2008年当時は特に大きな損傷は目立ちませんでしたが、2025年の訪問ではいくつかの劣化が気になりました。樹木も大きく育っており、2008年と2025年を比較すると、その差は一目瞭然です。植物の成長に伴う建物への影響なども気になるところです。


宿泊施設の変化
2008年当時、私たちが泊まった部屋は、単に空き部屋を宿泊用にした、という印象にすぎませんでした。しかし今回宿泊したお部屋は、民泊用にきれいに整備され、内装もリフォームされ、設備も充実していました。実は私たちがこのお部屋の「宿泊客第一号」だったそうで、インターネットだけはまだ開通していませんでしたが、それ以外は快適でした。偶然とはいえ、民泊第一号の顧客としてお部屋に泊まれたのは光栄でした。
地下の変化
地下施設に目を向けると、2008年には地下の多目的スペースが畳敷きになっており、道場として使われていました。しかし2025年現在は扉は閉ざされており、使用されていないようでした。地下駐車場には、2008年当時にはなかった火災報知器が設置され、安全対策が進められていることが伺えました(沢マンオフィシャルInstagramによると、行政の指導により地下の防災対策が厳しくなり地下利用について大幅に規制がかかってしまったようです)。さらに、地下の壁面には様々なイラストが描かれており、2008年にはなかった楽しみが増えていたのも印象的です。

花壇の変化
2008年当時も、外壁に設置されたプランターには様々な植物が植えられていました。しかし、あらためて2025年に見ると、そのプランターの多様性はより顕著になっていたと感じます。食べられる野菜はもちろん、園芸種や野草が区別なく生えていました。人為的に植えられたものと、自然に生えたものの違いはありそうですが、その多様性は一般的な公園の花壇を遥かに上回っていると感じました。筆者は生物分類技能検定3級および2級(動物)を取得しており、生物種の識別は素人としては得意な方ですが、それでも驚かされるほどの多様性です。機会があれば、沢田マンションの植物調査をしてみたいと感じました。

2008年当時は気づかなかったデザイン
2008年には意識していませんでしたが、今回の訪問で「採光」と「出入口」の工夫に気づきました。宿泊した部屋のリビングは二面採光で光が豊かに入り、裏通路に面した鉄格子の吹き抜けも採光を意識した設計でした。これはアレグザンダーの『パタン・ランゲージ』にある「二面採光」というパタンを思い出させるもので、沢マンの光への配慮を象徴しています。また、泊まった角部屋には正面玄関とは別に、洗面所奥から裏通路に出られる戸があり、戸建て住宅でいう「勝手口」のような役割を果たしていました。バルコニーのない沢マンだからこそ実現したデザインでしょう。
管理体制の変化
マンションの管理体制も変化しており、2008年当時は全体が一括管理だったのに対し、2025年現在は2人の娘さんがエリアを分担して管理していることがわかりました。見学時にも「半分(2期・3期工事部分)は見学可能だが、もう半分(1期工事部分)は控えてほしい」と案内され、管理主体の違いが見て取れました。
住民コミュニティの変化
2008年当時は、38号室に住んでいた岡本さんが、住民同士の交流を促すイベントを開催していました。宿泊時にも、岡本さんのお部屋で住民と懇親会をしたことを覚えています。現在は岡本さんが沢マンを離れたこともあり、以前ほど密な住人同士の関係は見られないとのことです。2008年に伺った際には、「不便さが住民の共通関心となり、その会話が住民同士をつなげる」という話を聞きました。これらの変化が、コミュニティ全体にどのような影響を与えているのかが気になるところです。
ツアー主体の変化
2008年当時、見学希望者は前述の38号室の岡本さんに連絡し、案内してもらうという形で進めました。しかし、現在は、1階に「沢マンショップ」が設置され、グッズの販売や見学受付も沢田家が直接管理する形に変わっています。2008年当時はグッズやショップもなかったため、「沢マンを活用したビジネス展開」が進んだと見ることもできますし、住人が始めた盛り上がりを、管理者である沢田家が引き継いだと捉えることもできます。
後継者の変化
2008年当時、メンテナンスは沢田家全体で行っていると伺っていました。今回は、娘さんが自ら宿泊部屋のリフォームを手がけ、その完成度に驚かされました。すべて自身の手によるものと聞き、「自分で作る」というDIY精神が今も受け継がれていると実感しました。
また、お孫さんたちが皆建築関係の道に進んでいるとの話もあり、この精神が確実に次世代へと伝わっていることに感銘を受けました。
変化のまとめ
見える変化と見えない変化、その両方に今回の訪問で気づくことができました。特に印象深かったのは、管理体制が娘さんたちに移り、お孫さんたちも建築の道を志しているという「見えない部分の変化」です。これは、沢田夫妻のDIY精神が世代を超えて受け継がれている証であり、「偉大すぎる遺産をいかに継承し、維持・発展させていくか」という普遍的な課題にも通じるものです。
一方で、見える変化としては、建物の劣化や修復の在り方が挙げられます。大規模修繕にあたるような対応がどのように行われているかは明らかでなく、RC造の平均寿命が約68年(『建物の寿命と耐用年数』(小松))とされる中で、沢マンがどこまで今の姿を維持できるかは、地道な修復プロセスにかかっているのでしょう。
継承と修復、その両輪が未来の沢マンを支える鍵となるのは間違いありません。
参考文献
- 小松幸夫著「建物の寿命と耐用年数」『鑑定おおさか No.46』、2016年、p.2
陽の光を取り込むマンション
沢マンの特徴はたくさんあります。光がふんだんに取り入れられているのもそのひとつでしょう。通路では至るところでコンクリートが抜かれ、露出した鉄筋が見られます。この工夫によって下の階まで陽の光が届くようになっています。
剥き出しの配管
剥き出しの配管も沢マンの欠かせない特徴のひとつです。一般的に配管は隠すよう設計されますが、配管の寿命は建物よりも短いため、沢マンではメンテナンス性を考慮して配管を表に出しています。これが味のひとつ。さらに面白いのは、電球がくくりつけられたガス管です。
電球を纏うことによって、ガス管は本来の役割に加えて電球を支えるポールとしての役割も担い、意味の重なりが生じています。
複雑な動線が持つ味わい
増改築を繰り返した沢マンの動線計画は複雑です。方向感覚の鈍い@makicamelは自分が何階にいるのか、どの辺りを歩いているのかまったくわかりませんでした。近所の子どもの遊び場として、子どもたちの声が響いていた時代もあったそうです。沢マンで隠れんぼするのはそれは楽しいでしょう。
コミュニケーションの装置としての椅子
建物それ自体ではありませんが、いたるところに椅子が置いてあるのも沢マンの特徴と言えるでしょう。椅子はどれも違うデザインで、眺めがよい場所や玄関先に置かれ、景色を楽しんだり休んだりする合間にコミュニケーションが生まれるアイテムになっています。
屋上に残る、かつての建築機材
屋内の造作に使われる木は、以前は沢田家所有の山から調達され、5階の製材所で製材されて内装工事に必要な木材に生まれ変わっていました。現在は木を購入こそするようになったものの、製材所は今も自由な沢マンを支えています。
コラム:東野高等学校と沢田マンションに共通する「質」(@kkd)
沢マン訪問のちょうど5日前の4月14日に、私が監修した書籍『小さな美しい村:クリストファー・アレグザンダーと夢見た、理想の学び舎建設記』がAmazonで発売されました。この本は、『パタン・ランゲージ』の著者アレグザンダーが手がけた最大規模の事例、埼玉県の盈進学園東野高等学校の建設記録です。
東野高校は1985年(昭和60年)に開校し、今年で40周年を迎えました。一方、沢田マンションも同年に第三期工事が完了し、奇しくも2つの建物は同じ年に完成したことになります。今回久しぶりに沢マンを訪れ、この2つの建物の共通点にあらためて気づいたので記しておくことにします。
「質」の実現のために両者が行ったこと
東野高校のプロジェクト責任者であった細井久栄氏(『小さな美しい村』著者)は、「くつろぎ」や「懐かしさ」といった感性を大切にしたキャンパスを求め、「施主と建築家が現物を元に対話をしながら進める」プロセスで建設を進めることを決めました。そして、アレグザンダーの『オレゴン大学の実験』を読み、利用者参加型設計に可能性を見出します。
彼に設計を依頼し、教職員・学生あわせて100人以上にインタビューを行い、「理想のキャンパス像」を表すパタン・ランゲージを作成しました。その「質」が現場で実現されるよう、原寸大での設計・確認・修正を繰り返しながら、教員たちも参加した徹底した現場主義で建設が進められたのです。
そして、当時は「非常識」と言われた戦後最大の木造建築物となった体育館を含めた、木造建築をベースとする校舎群、「役に立たない」と言われた池などを通じて、求めていた「質」を現実化しました。これらの建築物は、現在こそ学校建築において推奨または受容されていますが、当時は大きな物議を巻き起こしました。
一方、沢田マンションは沢田夫妻自身が設計・施工・利用者という立場で建てられました。設計図も存在せず、すべては現場で確認しながらつくられ、必要があれば自分で修復するというスタイル。まさに「使い手と作り手が一体となり現場で感じながらつくる」建築プロセスです。
沢マンも、当時の常識を超えた地下駐車場、屋上緑化による菜園や池などを作り上げました。今ではこれらを採用する建物もありますが、当時は前例がありませんでした。そもそも、沢マン自体が非常識の塊のようなものです。この規模のセルフビルド建築物は、国内では同じ四国の徳島にある喫茶店「大菩薩峠」、沢マンにもインスパイアされた「三田のガウディ」こと「蟻鱒鳶ル」くらいなものでしょう。
東野高校と沢マンに共通するのは、作り手と使い手の分離を超え、「感性」を大切にして導かれたプロセスであることと、「夢を現実化する」という確固たる信念でした。それらのプロセスを通じて作られた建物は、その時代では「非常識」と評価されましたが、時が経ってようやく受け入れられるものになりました。「時を超えて、未来を現実化した」という点においても、両者はとても似ています。
アレグザンダーが追い求めた、感じることで初めてわかる「質」が、この2つの建築物に体現されていたことをあらためて感じました。そして、この「質」は、その空間の「生命(いのち)の質」です。頭で考えるのでなく、身体や心で「感じる」体験を通じて、一人ひとりの人生のそれぞれの場所で、この「質」を高めていくことが、世界全体の「生命の質」を高めることに貢献するのでしょう。
参考文献
- 細井久栄著『小さな美しい村: クリストファー・アレグザンダーと夢見た、理想の学び舎建設記』Amazon Kindle Direct Publishing、2025年
- ヘルムート・ライトナー著、中埜博/懸田剛訳『パタン・セオリー: クリストファー・アレグザンダーの理論に関する序論と展望』Amazon Kindle Direct Publishing、2024年
住むように泊まる部屋
沢マンツアーは見学だけでは終わりません。民泊として貸し出しているお部屋に宿泊もできるということで、みんなで泊まらせて頂きました。40年以上お住まいだった方の退去後、リフォームされたお部屋が一般に提供されたのはわたしたちが訪れた日。わたしたちが初の宿泊客です。
鉄筋コンクリート造のマンション外観は白で塗装されていますが、部屋には木が多く用いられ、壁紙と塗装で彩られてカラフル。廊下や風呂、トイレを含めて壁が白一色の部屋はひとつもありません。
この間取りとしつらえにも人が心地よく過ごすための工夫が盛り込まれています。
例えばカウンター。カウンターは、キッチンをリビング、廊下、玄関と穏やかに区切っています。部屋は状況に応じてひとつの空間にも別々の空間にもなります。椅子は室内にもたくさん置かれて人が集う場づくりの一端を担っていました。
沢マンで過ごす夜
近所のスーパーに買い出しに行き、戻ってきたわたしたちを出迎えたのは手すりに結ばれた電球が灯り、暖かくライトアップされた沢マンでした。
夜はひろめ市場と近所のスーパーで買った食材を@etoシェフが次々と調理し、沢マンとRubyKaigiの話で盛り上がる宴会となりました。
こうして、沢マンの夜は更けていくのでした……。
チェックアウト、そして日常へ
そして翌日、東京や松山に帰ったり、大阪に向かったり、桂浜を見に行ったり、それぞれが日常や旅の続きの362日のRubyist生活に戻っていきました。
コラム:空間の継承とRubyKaigiの原点、沢田マンションの今をめぐって〜その②(@eto)
今回招かれた沢田マンションツアー。
どうやら「『パターン、Wiki、XP』読書会」が開催されているらしい、しかもそれが、私がかつて住んでいた中央線沿いで開かれていると聞いて、とても嬉しい気持ちでおりました。といっても、あまりにも"名著"と褒められるため、かえって表に出にくくなってしまった。とはいえ、感謝を伝えたいという気持ちは持っていました。
そして、その読書会の延長線上にこのツアーがあるということで、ぜひ参加せねばと思い、参加させていただきました。
沢田マンション訪問について
私の理解では、『パターン、Wiki、XP』で展開したアレグザンダーによるパターンランゲージの思想、そしてそこから発展した"無名の質"といった概念が、実際に沢田マンションに行けば学べるのではないか、という考え方のもとに開かれた企画だったと思います。
私が沢田マンション自体を訪れるのは、今回で3回目。宿泊するのは初めて。これまでは外から訪問させていただき、見学させてもらっていました。
沢田マンションがどんな建物なのかという点については、本記事に語られている通りですが、ただ実物を目の前にすると「独特」というレベルではなく、完全に"異次元"の建築です。
「100戸の部屋を持つマンションを自分たちで建てたい」という思いから始まったプロジェクト。その中で、「畑を作りたい」「田んぼを作りたい」「池を作りたい」といった希望をすべて実現してしまっている。その実現力には驚かされます。
沢田マンションと「違法建築」についての考察
一方で、この沢田マンションは「違法建築」として一部では知られています。私自身も、それについてはどう捉えるべきかと考える部分がありました。
まず、そもそも本当に違法建築なのかという点。話を聞いている限り、不透明だと思っています。というのも、この沢田マンションが作られた50年前には、屋上緑化や地下駐車場のようなものは無かった。そうであれば、そもそもそのような場を作りたいと思ったら、準拠する法規制そのものが不明だったと見るのが自然なのではないか。
法規制がまだなされていない段階で、どうしてもやりたいことをやって、それが後から見て違法に見えるというのは、現実にままあることですが、それを瑕疵ととらえるべきかどうかという疑問がある。
訪問前には、「Civil Disobedience(市民的不服従)」の実例として解釈できるのではないかと思っていました。これは、『森の生活』で有名なソローが展開していた思想として知られていて、「国家が間違った方向に進んでいると思ったとき、市民は積極的に法に抗うべきだ」という考え方です。
例えば、バスで白人と黒人の座席が分けられていた時代に、黒人女性ローザ・パークスが白人席に座り続けた行動があります。当時、これは違法行為でした。その行為がきっかけとなって公民権運動が高まり、キング牧師の有名な演説にもつながる。このように「法を守ること」と同じくらいに「法を破ること」もまた重要であるという文脈が、確かに存在します。
しかし、沢田マンションについて、実際に話を聞いてみると、その文脈には少し当てはまらないかなと感じました。100戸のマンションを自分たちで建てたい、という情熱が最初にあって、法規制についてはあまり考えていなかった、という順序のように思われました。
実際、現地を見て話を聞いたことで、私の考えも少し変わりました。とにかくやりたいからやるというノリは、大変重要なもので、そのような野生の力があるからこそ、人類は前進してきた。ただ、「市民的不服従」とは異なるのではと感じました。
今回は地下の駐車場を見たときに、最近取り付けられた防火設備、消火器や火災検知器などがあったことが気になりました。積極的に投資したとも思えないので、なにかあったのかなと思いましたが、やはり消防署からの指導が厳しく追加設備を設置したのだということが、沢マンのInstagramを見て後でわかりました。
沢田マンション宿泊を通じて見えてきた違和感
宿泊してみて、実際に体験することで見えてきたことがいくつかありました。その中で、あえて問題点にも触れておこうと思います。
すでに本記事でも言及されている通り、現在、沢田マンションでは空いている部屋を使って民泊を始めたということでした。そして私たちは、その宿泊第1号のゲストとなりました。それはとても光栄なことでした。
部屋のデザインについても、すべて自分たちでセルフで仕上げたとのこと。沢田家に伝わる「建物はすべてセルフビルドで作る」という伝統が、今もなお受け継がれているのを確認できたことは、大変嬉しい体験でした。
しかし、それを即座に「クオリティが高い」と結びつけてしまってよいのか、少し立ち止まって考える必要もあるのではと感じました。
体験記というものは、「どうでもいい細かいこと」に入り込むことがあります。ある意味、それこそが体験記が存在する意義だと思っています。そういう観点から、今回特に気になったのが、洗面台に貼られていた「WASH YOUR YOUR HAWS」というプレートの文言の一部。
"WASH"は「手を洗う」という意味ですが、"HAWS"は意味を成さない。最初は何のことかと不思議に思っていたのですが、しばらくしてようやく腑に落ちました。おそらく、「WASH HANDS(手を洗ってください)」という英語を画像生成AIに指示して画像を作らせた結果、AIが文字を誤って生成してしまい、"HANDS"が"HAWS"という語に置き換えられてしまったのではないか、と推測されました。

その上部には「WASH PAWS」という単語もあり、PAWSは「動物の足(肉球)」という意味なので、ぎりぎり意味を成すのだが、これも「WASH HANDS」のことなのかも……とも思いました。
部屋に敷き詰められていた大きなラグ(絨毯)にも違和感がありました。絵柄がどう見ても生成AIを用いて作られている。別に駄目ではないのだが、なぜこのデザインを選んだのかという疑問が浮かびました。

沢田マンションを多くの人が魅力的だと感じているのは、単に1人の人物が巨大なマンションを作りあげたからではないと私は考えています。たしかにセルフビルドで作ったがゆえにデコボコしたところがあるが、それを含め、全体としての形がどこかしらユーモラスで、1個の有機的な塊のようにも見える。つまり建物の形そのものにセンスがあるからだ、と思っています。
ちょっと文脈は違いますが、私はフランスで、ル・コルビュジエが建てた建物に泊まったことがあります。実はフランス人には、ル・コルビュジエはそれほど高く評価されていないという文脈を知って、驚いたことがあります。フランス人から見ると、ル・コルビュジエの建築は、ややせせこましい、つまり大きさが少し小さめに作られています。それは、実はその建築が、貧しい人たちのために作られたものだという文脈があります。彼の建築は、いわゆるブルジョワが気に入るような、贅沢な空間の使い方とは異なるということが見て取れます。
私は、沢田マンションの5階の通路を歩いているときに、ル・コルビュジエが建てたマンションの屋上を歩いていた時のあの感触を思い出していました。
センスを受け継ぐということは、難しいものなのだなと感じました。「すべてをセルフビルドで」という意志は今も受け継がれていますが、美意識やデザイン感覚の継承はそう簡単にはいかないと、改めて思った次第です。
RubyKaigiがなぜ生まれ、なぜ続いてきたのか
さて、今回の企画では、市場で買ってきた美味しい魚やご飯を囲みながら、議論を深める時間がありました。その中でも、「RubyKaigi誕生の経緯」と「どのように今も受け継がれているのか」について、あらためて確認できたことは収穫でした。
現在、RubyKaigiはテック系カンファレンスの中でも人気があり、多くの人々にとって重要な場所になっていると聞いて、喜ばしいことだと感じました。同時に、なぜRubyKaigiがこれほどまでに"良い会議"として評価されているのかという点について、十分には共有されていないのではないかという感触も持ちました。
この記事では、無名の質、パターンランゲージとの関連でRubyKaigiが説明されていますが、それは「なんとなく似ている」レベルの偶然的な繋がりではないということは、やはり強調しておくべきだと考えました。
私は「RubyKaigiはパターンランゲージに基づいてデザインした」と言いたいわけではありません。ただ、アレグザンダーが言うところの"無名の質"とは何か、そしてそれを生み出すにはどのような方法が必要なのかということを深く考え、角谷さんを含めたさまざまなメンバーと議論し、具体的な課題に向き合いながら試行錯誤を重ねていく中で、最初のRubyKaigi(正確には日本Rubyカンファレンス)が生まれたことは確かです。
しかし、こうした経緯や背景が、十分に語られてこなかったのではないかという懸念があります。もちろん、どのように始まったのかがなぜそんなに重要なのかという見方もあるかもしれません。
それでも私があえて共有しておきたいと思う理由は、こうした背景が伝えられなければ、その「質」はやがて終わりを迎えてしまうかもしれないからです。どれほど素晴らしい場であっても、それが始まった理由や支え続けてきた思想が共有されていなければ、静かに終息していくことは珍しくありません。
「まさかRubyKaigiが?」と思われる方もいるかもしれませんが、実際に一度は終わりを迎えていることは、先述した通りです。
なぜRubyKaigiはこれほどまでに質の高い空間を継続できているのか、そしてその継続には何が必要だったのか、いま一度きちんと問い直すタイミングが来ているのではないかと感じています。
この記事は沢田マンション体験記を中心に構成されていますが、その体験の背景には、RubyKaigiという空間の成立と維持を支えてきた思想や実践がある。そしてそれを再び問うことができるならば、この体験記は単なる訪問記を超えた意味を持つのではないかと、私は感じています。

ものづくりにおける沢マン
さて、ここまで@etoさん、@kkdさんによる考察を混じえつつ沢マンを見てきましたが、ものづくりにおいて沢マンとはいったい何なのでしょうか?
『パターン、Wiki、XP』では、アレグザンダーの著書『オレゴン大学の実験』(p.14)から「6つの原理」を引用し紹介しています。この原理と沢マンの建築プロセスの特徴にはいくつかの共通点が見られます。
- 有機的秩序の原理(The principle of organic order)
- 参加の原理(The principle of participation)
- 漸進的成長の原理(The principle of piecemeal growth)
- パターンの原理(The principle of patterns)
- 診断の原理(The principle of diagnosis)
- 調整の原理(The principle of coordination)
「有機的秩序の原理」はトップダウンで設計を決めるのではなく、建物全体を貫く設計上の原則を定め、個別の建築案件をその原則に沿った形で実装していく原理です。沢マンは「100世帯あるマンションを作りたい」「すべて違う間取りの部屋にしたい」「すべての階が地面の上にいるようなマンションにしたい」という嘉農さんの夢に沿って作られています。
沢田夫妻は建築家であると同時に住人でも大家でもあります。これは建設内容や建築方法に関する決定を実際の利用者に委ねる「参加の原理」に則っています。
「漸進的成長の原理」では、完成までの完璧な計画を立て実行するのではなく、少しずつ建築を進める計画にして実行します。建てて終わりではなく、修繕を繰り返すことでより心地よい建物を求め続ける沢マンはまさしくこの原理を体現しています。
「パターンの原理」の「パターン」を、『パターン、Wiki、XP』(p.33)では以下のように説明しています。
パターンは、建築環境に繰り返し現れる課題を解決に導く具体的な方策を記述したものです。1つのパターンは1つの方策を述べる数ページの文書です。まず課題とその背後にある状況を示す経験的な事実が記され、次に解決に必要な建設や計画の方法が提示されるという形式をしています。
これまで見てきた通り、沢マンは人が生き生きと暮らすためのパターンに溢れています。「パターン」という言葉こそ使われなかったかもしれませんが、明確な意思をもってデザインされています。
「診断の原理」は修復プロセスです。どのスペースが生かされ、どのスペースが生かされていないかを定期的に診断し、修繕します。夢(設計上の原則)のためにスロープを作ったものの、住戸の日当たりが悪くなったため、生かされなくなったスペースの健康状態を取り戻すためにスロープを作りかえたという話はこの一例です。
アレグザンダーの「6つの原理」は利用者が参加し自分たちの住む場所を良いものにするための設計の原則です。沢マンの建築プロセスはこの原理のいくつかに則っています。しかし沢田夫妻は建築を学校で学んだわけでも、アレグザンダーの原理を知っていたわけでもありません。自由で生き生きとした沢マンを作るプロセスは、沢田夫妻の内側から生まれたものでした。
沢マンとRubyKaigiにも共通点があります。それは「無名の質」です。「無名の質」とはみなさんがRubyKaigiで感じた、あのよさです。
RubyKaigiの会場は生き生きとした熱気に包まれていました。スピーカー、オーガナイザー、ヘルパー、参加者、ブーススタッフ、イベント会社や通訳の方まで、みんながあの場を楽しみ、この場を好きだと思っていることが伝わってくる。一人ひとりがRubyKaigiを構成するものとしてエネルギーを生み、またそのエネルギーを受け取ることができます。
RubyKaigi会期中や会期後には多くの「KaigiEffect」が発生します。RubyKaigi 2025で繰り返し手渡されたメッセージのように、「無名の質」の中で何かと出会ってしまうからでしょう。
沢マンもRubyKaigiも特別です。それでは、特別ではない日常のお仕事のソフトウェア開発で「無名の質」を実現することはできるのでしょうか。
そのヒントとして、わたしたちは今『エクストリームプログラミング』を読み、XPを学んでいます。
XPのプラクティスはアレグザンダーの「6つの原理」に影響を受けています。
ここでもう一度『パターン、Wiki、XP』を参照すると、「ストーリー」は「有機的秩序の原理」や「パターンの原理」、「実顧客の参加」は「参加の原理」、そして「インクリメンタルな設計」や「インクリメンタルなデプロイ」は「漸進的成長の原理」を反映しているとあります。XPはこの原理をソフトウェア開発のプロセスに取り込んで作られました。
XPの価値のひとつに「シンプリシティ」があります。その内容は「システムをシンプルに保ち、今日の問題だけを優雅に解決すること」。何が最もシンプルであるかは状況によって変化し、「シンプルな状態」を導きだすことはシンプルではありません。ある一時システムをシンプルにするのではなく、シンプルに保ち続けるには改善が必要で、それ自体が価値です。
沢マンでわたしたちが見てきたのも改善の積み重ねでした。大小様々な工夫が凝らされていますが、鉄筋と石のオブジェもその小さな例です。沢マンではあちこちでコンクリートから飛び出した鉄筋を見ることができます(これも沢マンの特徴です)。鉄筋は将来の拡張に備えて敢えて出されていますが、そのままだと危ないので間に石が置かれ、結果的に石に脚が生えたような愛嬌のあるオブジェになっています。沢マンでは遊び心を持って課題が改善されています。
わたしたちが日々住まうコードも、大小様々な課題を抱えながら新陳代謝を繰り返し育っていきます。コードが「無名の質」を備えるための万能解はなく、改善と修繕を繰り返す必要があります。
アレグザンダーの「6つの原理」は「無名の質」を備えた都市や建築を実現するための原理です。そして「6つの原理」の対象は建築に留まらず、ソフトウェア開発にも応用されています。
『パターン、Wiki、XP』の副題は「時を超えた創造の原則」です。時を超えた創造の原則の実装である沢マンとRubyKaigiは、生き生きとしたソフトウェア開発のヒントに満ちていました。
コラム:沢マン、Ruby、ユースケース(@amatsuda)
このたびの沢マンツアーの言い出しっぺの松田です。さて、@makicamelさんと@coe401_さんは、沢マンのいきいきとした様子の中にRubyKaigiのクオリティとの共通点を見出してくれたようで、なるほど興味深いご指摘ですし、ここ10年のRubyKaigiの実装者としては少々「してやったり」なところでもあります。 一方、自分が沢マンの作られ方を目の当たりにして感じたのは、それ以前にプログラミング言語Rubyとの類似性でした。
Rubyの開発に関する議論は、bugsと呼ばれるBTS上で進められているんですが、ここで新しい機能を提案する際に最重要視されているのは「ユースケース」です。 「他言語にこういう機能があるからRubyにも同様の機能を実装してみてはどうか」とか「あっちのクラスにはこういうメソッドがあるから同じ名前のメソッドをこっちのクラスにも追加しておいたほうが一貫性があるのではないか」といったような提案では、Matzの心はなかなか動きません。 Matzが近年最も重要視しているのは「自分がこういうアプリケーションを書くにあたって、こんな機能がないと困るからRubyに実装してほしい」といったような、ユーザー目線での提案なのです。 Rubyはこういった方針で絶え間なく改良され続けているからこそ、30年経っても古びない、現場のプログラマーにとって手にしっくり馴染む道具であり続けているんじゃないでしょうか。
沢田マンションが、「普通の集合住宅がみんなそういう作りになっているから」とか「建物全体の整合性を考えて」ではなく、実際に住んでいる住民たちが必要だと感じたものをその場その場で自由に取り入れて有機的に大きくなっていく姿って、これってまさにMatzがよく言ってる「ユースケース」を漸進的に取り込み続けていくプロセスであって、Rubyと(そしてそのイズムを色濃く受け継いでいるRuby on Railsと)一緒じゃないですか!
そんなところで、あらためてRubyのえも言われぬ良さの源泉がひとつ垣間見えたような気がして、僕はちょっと嬉しくなっちゃったのでした。
謝辞
最後に謝辞を述べてこのレポートを締めたいと思います。
沢田マンションという建築を作り修繕を続け、今回見学やインタビューに快くご協力頂いた沢田家の皆様。『パターン、Wiki、XP』を執筆し、歴史に出会わせてくれ、沢マンの考察を聞かせてくれた@etoさん。沢マンを一緒に歩き、過去の姿とも照らしあわせながら沢マンの魅力を教えてくれた@kkdさん。ツアーを企画し、わたしたち「新しい人々」を巻き込んでくれた@amatsudaさん。無名の質を@makicamelに教え、読書会を開催し『パターン、Wiki、XP』『エクストリームプログラミング』の旨味を何倍にも増幅させながら一緒に本を読んでくれる@kakutaniさん(なんせ前者は1年かけて、後者は3年計画で読んでますからね)。見学や宿泊の手配をし、レポートを書く機会と場所、沢マンと無名の質と向き合うきっかけをくれた@inaoさん。そして今年もそれぞれの立場で最高のRubyKaigiを作ったみなさん。
ありがとうございました。
参考文献
- 江渡浩一郎著『パターン、Wiki、XP —— 時を超えた創造の原則』技術評論社、2009年
- ケント・ベック、シンシア・アンドレス著/角征典訳『エクストリームプログラミング』オーム社、2015年
- 加賀谷哲朗著『驚嘆!セルフビルド建築 沢田マンションの冒険』ちくま文庫、2015年
- クリストファー・アレグザンダー著、宮本雅明訳『オレゴン大学の実験』鹿島出版会、2013年
- クリストファー・アレグザンダー他著、平田翰那訳『パタン・ランゲージ —— 環境設計の手引』鹿島出版会、1984年
『パターン、Wiki、XP』にご興味を持ってくださった方への参考文献
『パターン、Wiki、XP』は、現在も電子版が入手可能です。
また、刊行記念イベントの模様が残っていましたので、ご紹介します。
『パターン、Wiki、XP』刊行記念トークセッション
『パターン、Wiki、XP』の発売前日である2009年7月8日に、ジュンク堂書店池袋本店にて、江渡浩一郎さん、懸田剛さん、角谷信太郎さんによる刊行記念トークセッションが開催されました。
その動画です。
- 『パターン,Wiki,XP』刊行記念トークセッション #1 - ニコニコ動画
- 『パターン,Wiki,XP』刊行記念トークセッション #2 - ニコニコ動画
- 『パターン,Wiki,XP』刊行記念トークセッション #3 - ニコニコ動画
「第七回Wikiばな ~ Wikiの起源へ~」
2009年8月8日に、『パターン、Wiki、XP』の刊行を記念し、「第七回Wikiばな ~ Wikiの起源へ~」が開催されました。
この記事の関係者による発表のスライドおよび動画です。
- 江渡浩一郎「Wikiの起源へ」
- 懸田剛「Wikiみたいなマンション、"沢マン"。そして"The Nature of Order"へ」
- 稲尾尚徳「レビューパターン」
上記以外のスライドおよび動画については、以下のレポートやYouTubeプレイリストからご参照ください。
写真:@coe401_、@makicamel、@kkd、@eto、@tenderlove、@inao
編集後記
この記事が、SmartHRのRubyKaigi 2025のテックブログの締めくくりです。
『パターン、Wiki、XP』の刊行は16年前の2009年です。紙版はとうの昔に新品では入手できなくなっています。にもかかわらず、近年にも読書会を開催してくださり、今回のツアーにつながったことは、感慨深く、編集者冥利に尽きます。
沢田マンションの興味深さはもちろん、単純にこのメンバーで行くツアーとしても楽しかったです。修学旅行みたいでした。全員が全員とも、とにかくマイペースでした。いまこの編集後記を書きながら、思い出し笑いしてしまうほどです。著者のみなさまのマイペースさは、ここまでのそれぞれの個性あふれる文章から伝わってくるかと思います。記事には登場していない一例だけ挙げておくと、「沢マンで過ごす夜」の宴が終わりにさしかかった深夜25時、松田さんが唐突に「街に飲みに行く」とおっしゃられたので、江渡さんと私と3人で高知の街に繰り出し、お店を2軒はしごしました。
企画段階ではまきさんお一人による記事となる予定が、最終的にはまきさん、しおいさんのレポートの合間に、懸田さん、江渡さん、松田さんの5つのコラムが挟まる、5人での共著となりました。見出しは40を超え、文字数は3万を超えました。「SmartHR Tech Blog」なのに著者にSmartHRのメンバーは一人もいません。コラムでの江渡さんのお言葉をお借りするならば、この記事もまた、「デコボコしたところがあるが、それを含め、全体としての形がどこかしらユーモラスで、1個の有機的な塊のようにも見える」、沢田マンションと同様の質を備えているのかもしれません。(い)
- 直近の書籍では「名付け得ぬ質」と訳されています。また『The Nature of Order』シリーズ以降の著作では、アレグザンダー自身により「生命(いのち)の質(Quality of Life)」と名付け直されました。↩