こんにちは、SmartHRでアジャイルコーチをしている@wassanです。
AI時代、多くのチームでプロセスにAIを統合する試行錯誤が行われています。成果につなげられるチームが出てきている一方で、活用がごく一部にとどまっているチームもあるのではないでしょうか。Qodo AIの調査では78%の組織がAIを活用しているにもかかわらず、そのうち80%が期待する成果を出せていないというデータがあるそうです(出典:Qodo AI, 2025, State of AI code quality in 2025)。
この「生成AIパラドックス」にどう向き合うか。そのヒントとなるのが、スクラムの生みの親であるジェフ・サザーランド博士とスクラムトレーナーのラルフ・ヨッハムが、2026年1月に公開した「AIとスクラム」 です。スクラムガイドをプロダクト開発の視点で補足する「拡張版シリーズ(Scrum Guide Expansion Package:SGEP)」の最新コンテンツにあたります。いま私がコミュニティの仲間と日本語に翻訳中です。
先日、SmartHR社内の勉強会「アジャイルやっていきの集い」では、翻訳中のコンテンツを用い、キーポイントを共有し、参加者とディスカッションを行いました。この記事では、博士たちのメッセージの核心と、勉強会で見えてきた現場のリアルな声を紹介します。
博士たちが伝えたかった4つのこと
レポートの内容は多岐にわたりますが、博士たちのメッセージは大きく4つに集約できます。
1. AIが加速するのは「アウトプット」であって「アウトカム」ではない
AIはコード生成やチケット消化といったアウトプット(作ったもの) を爆発的に増やせます。しかし、アウトカム(ユーザーにとっての価値) は自動では増えません。
博士たちは、アウトカムにフォーカスせずにアウトプットだけをAIで増やしている状態を以下のように言っています。
壊れたコンパスを持ったまま速く走れば、より速く迷子になるだけ
アウトカムにフォーカスしなければ、チームは「高スループットのフィーチャーファクトリー(作業効率の向上)」になってしまう。これはAI時代に最も注意すべき落とし穴です。
2. だからこそ「透明性・検査・適応」が一段と重要になる
スクラムの経験主義の3本柱 —— 透明性・検査・適応 —— は、AI時代にこそ真価を発揮します。
このSGEPでは、AIを導入したスクラムチームにおいて透明性・検査・適応の価値にどう取り組むべきかが述べられています。プロセスとプロダクトの両側面でそれぞれを整理すると、次の表のようにまとめられるでしょう。
| プロセス | プロダクトの価値 | |
|---|---|---|
| 透明性 | AIを活用したプロセスの進め方や成果物を見える化する | プロダクトが生み出す価値やユーザーへの影響を見える化する |
| 検査 | AI導入がうまくいかなくても諦めず、「どうすればうまくいくか」をプロセスごと検査し続ける | 速く作れるぶん、「本当にユーザーにとって価値があるか?」の検証頻度を上げる |
| 適応 | コーディングだけでなく、アイデア出しからプロダクト要求仕様書づくり、設計からテストまで、バリューストリーム全体でAI適応を進める | 検証の結果、価値がなければ捨てる勇気を持つ。開発コストが劇的に下がった今、作り直す判断も容易になっている |
速く作れるようになったからこそ、速く学び、速く軌道修正する。このサイクルを回せるかどうかが、成果を出せる組織とそうでない組織の分岐点です。
3. 人のアカウンタビリティー(説明責任)は変わらない
AIは提案や生成はできますが、最終判断と結果への責任は人間が持ちます。これはAI時代でも変わりません。「AIがそう言ったから」ではなく、意思決定の根拠と責任の所在を明確にすることが求められます。
4. スクラムは「不変」から「適応可能」へ
ここが最大の転換点です。2020年版スクラムガイドでは「スクラムは不変(immutable)」とされていました。しかしSGEPでは、AI時代においてスクラムは適応可能であり、意図的な変更が必要なこともあると明言しています。
このSGEPでは、AIを導入したスクラムチームにおける役割の変化が述べられています。スクラムの役割について従来とこれからをそれぞれ整理すると、次の表のようにまとめられるでしょう。
| 役割 | 従来の焦点 | AI時代の焦点 |
|---|---|---|
| プロダクトオーナー | 要件定義・バックログの管理 | AIにゴールと制約を与え、生成物を価値の視点で仮説検証を繰り返す認知オーケストレーター(司令塔)。プロダクトオーナーがボトルネックになるなら、バックログの管理も開発者に権限委譲すべき |
| 開発者 | コーディング中心 | レビュー・テスト・アーキテクチャに注力する品質と設計のキュレーター。AIがコーディングを支援する代わりに、何を作るかにも積極的に関わる |
| スクラムマスター (SmartHRではEM) |
スクラムのプロセスのファシリテーター | チームがAI導入に挑戦する心理的安全性を築きながら開発プロセスへのAI統合を促進するファシリテーター |
原則は守りつつ、やり方は大胆に変える。これが博士たちのメッセージの核心です。
「AIとスクラム」は開発チームにどう響いたか? —— SmartHRで今起きていること
ここまではスクラムの本家によるAIへの見解を紹介してきましたが、実を言うとSmartHRではすでにAIで変革が起きているチームがいくつかあります。SmartHR社内の勉強会では、博士たちのメッセージを共有したうえで、開発チームで実際に起きているAI活用の変革と照らし合わせて考察しました。
変革の一つが「PoC駆動のモブコラボレーション」です。
社内のあるチームでは、PdM・エンジニア・デザイナーが一体となったモブコラボレーション(博士たちが言う「アンサンブルワーク」) でPoC開発を実践しています。
- プロダクト要求仕様書をもとに荒削りな理解の状態で、バイブコーディングで動くPoCを作る
- PoCをもとに議論・品質向上・ドキュメント化
- 固まるまで繰り返す
- ドキュメントをもとにチケット化し、本番コードをAIで並列実装
この結果、フィードバックサイクルが2ヶ月から3日間に圧縮されたそうです。まさに「速く作り、速く学ぶ」を体現した事例です。
一方で、AIを使った開発プロセスやプロダクトの価値に関する仮説検証のサイクルが早まり、スクラムの経験主義はむしろ強化されています。さらに印象的だったのは、この働き方になってから「チームで開発する喜びを取り戻した」という声があがったこと。アジャイルが大切にする「プロセスやツールよりも人と対話」が、AI時代にこそ実践されているのです。
取り組みの詳細は近日、チームがブログで紹介予定です。乞うご期待!
勉強会参加者のリアルな声 —— 変えたいことと守りたいこと
勉強会の最後に、参加者に「Change(変えたいこと)」「Keep(守りたいこと)」「直近で取り組みたい実験」をSlackに投稿してもらいました。SmartHRの現場のリアルな声を共有します。
Change(変えたいこと)
- OKRをアウトカムベースにしたい — 機能のリリースではなく、ユーザーへの価値で成果を測りたいという声が複数ありました
- 開発者もディスカバリーフェーズに関わりたい — 「何を作るか」の上流からエンジニアが参加するスタイルへのシフト
- AIツールの実験に時間を確保したい — 使いこなすための「余白」を意識的に作る
- AIを前提とした開発フローを構築したい — コーディングだけでなく、フロー全体を再設計
Keep(守りたいこと)
- 透明性・検査・適応 — 博士のメッセージと重なる声がほぼ全員から挙がりました。AIが何を生成しても、この原則だけは手放さない
- 小さく実験する文化 — 一気に変えるのではなく、仮説を持って小さく試す
- 認知の負債を貯めない — AIが書いたコードだからといって理解をスキップせず、実装内容を咀嚼しながら進める
- 実装内容に責任を持つ — 「AIが書いたから」で品質基準を下げない
直近で取り組みたい実験
- AIでバックログ作成→PR作成を自動化してみる — 「1日中レビューになりそう?」というユーモアのある反応もありました(笑)
- Claude Codeを使ったモブコラボレーションによるPoC開発 — 他チームの事例を参考に、自分たちでもやってみる
- スプリントの概念にとらわれない進め方の模索 — AI時代、タイムボックスの重要性が下がるかもしれない
特に多く聞かれたのは、「アウトカムベースで開発していきたい」 という声でした。AIで速く作れるようになったからこそ、「顧客の行動変容」を測定しながら開発する重要性を現場のエンジニアが実感している。これはまさに、博士たちのメッセージが現場に響いている証拠だと思います。
おわりに —— 小さく始めて、チームで学び、組織に広げる
博士たちは、組織がAI統合に取り組む猶予を12〜24ヶ月と見積もっています。時間は限られていますが、焦る必要はありません。
SGEPが示す導入ステップはシンプルです。
- 基盤をつくる — AI導入のゴールと品質のガードレールを明確にする
- 小さく実験する — バリューストリーム全体での活用を意識しながら
- うまくいったものを拡大する — パイロットの学びを組織全体に共有する
- 継続的に適応する — AIの進化に合わせて運用を見直し続ける
SmartHRでは、今回の勉強会のように、最新の知見を社内で共有し、各チームが自律的に「小さな実験」を始められる土壌づくりを続けています。
AI時代のスクラムにおいて、役割やプロセスは大きく変わり続けるかもしれません。しかし、アウトカムにフォーカスし、透明性・検査・適応のサイクルを回し続けるというスクラムの本質は変わりません。その原理原則を守りながら、チームの学びを組織全体へと広げていく。そうすれば、チームも組織も、この激動のAI時代に適応できるのではないでしょうか。
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