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SmartHR 開発者ブログ

「教える」から「引き出す」リーダーへ──感情知性とコーチングを組織で育むSmartHRの実践

こんにちは、SmartHRでアジャイルコーチをしている@wassanです。

AIの進化が止まりません。エンジニア一人ひとり、そして開発チームは、AIを活用するスキルや、それを前提とした新しい働き方に常に挑戦することが求められる時代になりました。

しかし、AIをどう使えばよいのか、チームの仕事をどう変えればよいのか?正解は誰も持っていません。 試行錯誤しながら、自分たちで答えをつくっていくしかない時代です。

そうしたなか、エンジニアリングマネージャー(以下EM)の役割も大きく変わろうとしています。これまでのように自分の成功体験を教えたりシェアしたりすることよりも、 メンバー一人ひとりの挑戦を促し、引き出す ことが、EMの中心的な仕事になってきています。私もSmartHRのEMの皆さんと話す中で、強くそう感じています。

一方で、 「そもそもAI時代に、EMという役割は要るのか?」 という問いも、最近よく耳にするようになりました。アメリカの先端的な開発現場では、エンジニア一人がAIを活用し、これまでより広い範囲を自律的に担う「個人+AI」型の働き方も見え始めています。AI時代に個人の自律性とAI活用力がこれまで以上に重要になることには、私も強く共感しています。

ただ、個人がAIで強くなるほど、 孤立や、チーム内の対話の減少といった副作用 も起きやすくなります。特にSmartHRのような、 業務理解・法令・顧客の運用・プロダクト体験が複雑に絡むSaaS開発 では、個人の力を高めるだけでは十分ではありません。だからこそAI時代のEMには、 「一人ひとりを強くする」と同時に「一人にしない」関わり方 が求められる── 私はそう考えています。

では、AIと協働する時代、EMに本当に必要なスキルは何なのでしょうか?

この問いに対する私なりの仮説は、次の2つです。

  • コーチングスキル:答えを教えるのではなく、心理的安全性の高い場を作り、相手の中にある答えを引き出す関わり方
  • そして、その土台にある 感情知性(EQ:Emotional Intelligence):自分と相手の感情に気づき、適切に扱う力

聞き慣れない言葉が並んだかもしれませんが、安心してください。私自身、日本の大企業で働いていた頃は、こうした言葉とは無縁でしたし、むしろ「感情」を仕事に持ち込むことは良くないことだと信じていました。

この1ヶ月、私はアジャイルコーチとして、SmartHRのEMと一緒に、AI時代のマネジメントのあり方を探りながら、EM同士がお互いの感情知性とコーチングスキルを高め合うプログラムを実施してきました。

このブログでは、 なぜAI時代のEMに感情知性とコーチングが必要なのか 、私自身がそこに辿り着いた経緯、そしてSmartHRで実際に行ったトレーニングの中身と手応えを、できるだけわかりやすくご紹介したいと思います。

なお、AI時代のEMには、 AI時代の組織のあり方のビジョンを描き、そこに向けて組織を設計していく力 ── 対話を通じた共有ビジョンづくりや、AIを前提にしたチーム編成・ワークフロー・AIエージェントの組み込み方の設計のスキル ── も同じくらい重要になっていきます。こちらはそれだけで一本書きたいテーマなので、続編として書きたいと思っています。本ブログでは 感情知性とコーチング に絞ってお話しします。

私が感情知性の重要性に気づいた日

アジャイルコーチを名乗っている私が、恥ずかしいことにいちばん寄り添えなかった相手は、自分の息子でした。

息子の中学受験のとき、私は偏差値という数字に、自分でも驚くほど振り回されました。「もっとできるはず」「なんで勉強しないんだ」── 普段クライアントには「チームを信じて任せましょう」と言っているくせに、家に帰ると、塾の宿題を全くしない息子を見ては不安で胸がざわつき、叱りつけながら無理やり勉強をさせていました。

親の期待を押し付ければ押し付けるほど、息子は反発し、関係性は悪化していくばかり でした。

当時の私の頭の中は、こんな問いでいっぱいでした。

なぜ息子は勉強してくれないんだろう。どうすれば勉強させられるんだろう。

今ふりかえると、この問い自体が間違っていたのですが、当時の私には気づけませんでした。「息子のために」と思いながら、実は自分の不安を解消するために、息子を動かそうとしていただけだったのです。

藁をもすがる気持ちで、私はコーチングの本を読みあさり始めました。そして一冊の本に出会います。リチャード・ボヤツィス教授らの 『Helping People Change(邦題:成長を支援するということ)』 です。

人が成長するメカニズム──ありたい姿と、共鳴する関係性

『Helping People Change』を読み進めて、私は自分の親としての「育成」観がいかに的外れだったかを思い知らされました。

この本のメッセージを一言でまとめると、こうなります。

人が自律的に成長し続ける源は、 「ありたい姿(Ideal Self)」に向かうポジティブな感情 であり、それを引き出すのは 「共鳴する関係性(Resonant Relationship)」 である。

少し噛み砕くと、こういうことです。

社会からの勝手な期待を押し付けられると、人は「やらなきゃ」「直さなきゃ」というネガティブな感情を抱き、成長は一時的なものにとどまります。一方で、自分の 「こうありたい」というビジョン(=ありたい姿) が明確になると、内側からエネルギーが湧き、自然と挑戦に向かっていきます。そして、そのありたい姿は一人では描けません。安心して話せて、本気で関心を寄せてくれる相手がいる── そんな「共鳴する関係性」 があって、はじめて言葉になっていくのです。

このメカニズムを意図的に引き出す具体的な手法が、 コーチング です。コーチングとは、ひとことで言えば 「相手の中にある答えを、問いと傾聴で引き出していく関わり方」 です。

ただし、コーチングは「質問のテクニック」だけでは成り立ちません。自分の正解を押し付けず、相手を評価・判断せず、相手のありたい姿を本気で引き出すためには、 自分の感情と相手の感情を切り分け、判断を脇に置き、ただ聴く ことが必要になります。これは、極めて高い 感情知性 を要求する営みです。

本に書かれていることを息子との関係に適用しようとして、私はすぐに気づきました。「ありたい姿を引き出す問い」を投げかけようとしても、不安が顔を出して口を挟みたくなる。「待つ」と決めても、待ちきれずに自分から正解を渡してしまう。私自身の感情知性が、まったく追いついていなかったのです。

もっと本気で学ばないとダメだ、と思いました。私は『Helping People Change』を日本語に翻訳することを決め、さらにアメリカのケースウェスタンリザーブ大学まで行き、ボヤツィス教授らのもとでコーチングを学びました。

そこで知ったのは、 アメリカでは企業のリーダーが感情知性とコーチングを「ビジネススキル」として体系的に学んでいる という事実でした。

  • Google には、社員の感情知性を高めることを目的とした自社プログラム「Search Inside Yourself」があると知られている
  • Amazon にも、感情知性を学び合う社内コミュニティ「EQ@Amazon」があると言われている
  • Microsoft のCEOサティア・ナデラ氏は、 「AI時代、感情知性の伴わないIQは無駄である(IQ without EQ is a waste of IQ)」 とまで言い切っている*1

これらは、AI時代になって突然出てきた話ではありません。以前から先進的な企業ではリーダーシップの重要なビジネススキルとして扱われてきたもので、AIで技術的な仕事が自動化される今、その重要性はさらに高まっているように感じます。

この考え方を、日本企業でも本気で実践したい。そう思って今に至ります。

SmartHRの感情知性・コーチングトレーニング

AI時代において、リーダーに求められるのは感情知性やコーチングスキルなのではないか── SmartHR社内でそう考えていたのは、幸運なことに私だけではありませんでした。トレーニングの設計のためにSmartHRのEMにヒアリングをしてみると、彼らも同じ考えを持っていることが分かりました。

「答えを教えるマネージャーとしての役割はある程度できている。でも、メンバーの ありたい姿 を引き出して、自律的に挑戦してもらうことが、十分にはできていない」

「コードの書き方や設計はAIがどんどん担ってくれる。じゃあEMに残るものは何なのか、まだ見えていない」

コーチングや感情知性の話をすると、ヒアリングをした6人のEMが全員、一緒に学びたいと言ってくれました。そして、彼らとともに1ヶ月で「 理解 → 自己探求 → 実践 」を一巡できるプログラムを設計しました。

具体的には、Day1(オンライン)とDay2(オフライン)の2日間の講義を軸に、その間に個別セッションと360度感情知性アセスメントを挟む、 約1ヶ月のプログラム を設計しました。

セッション 形式 狙い
Day1(3時間/オンライン) 講義+ケーススタディ 感情知性とは何かを知り、ケーススタディで腹落ちする
個別セッション①(60分) 1on1コーチング 自分の ありたい姿 を探索する
360度感情知性アセスメント 自己+メンバー+上司 多面的に「現実の自分」を知る
個別セッション②(60分) 1on1コーチング アセスメント結果を読み解き、自身の強みと成長機会を探索する
Day2(3時間/オフライン) 講義+実技 感情知性をベースに主体的な成長を引き出すコーチング理論を学び、EM同士でありたい姿に向けた具体的なアクションを引き出し合う
  • 感情知性 は、まずDay1で体系的に理解し、続く360度感情知性アセスメントと個別セッションで 「自分の感情知性の強みと成長の機会」 を明らかにしたうえで、Day2でその伸ばし方を探索する
  • コーチングスキル は、まず個別セッション①でEM自身が コーチングを受ける側 として「自分のありたい姿」を言葉にする体験をし、その効果を体感する。そのうえでDay2の理論学習と ピアコーチング(同僚同士でコーチとクライアントの役を交互に務め、互いにフィードバックし合うコーチングの練習方法)で、今度は 相手のありたい姿を引き出す側 に回って実践する

Day1ではまず、ボヤツィス教授の感情知性モデルを扱いました。感情知性は大きく次の4つの象限からなる、というモデルです。

  • 自己認識:自分の感情に気づく力
  • 自己管理:気づいた感情を自分の成長や目標の達成のために上手に扱う力
  • 社会認識:相手や場の感情を読み取る力
  • 人間関係管理:相手の感情を理解したうえで、コーチングやビジョンの提示を通じてリーダーシップを発揮する力

感情知性の概念を理解したうえで、AI時代の架空チーム「沈黙のチーム」のケーススタディでディスカッションしました。このケースは、AI活用が進んだ結果、チームが少しずつ機能不全に陥っていく架空のシナリオです。ちょうど、冒頭で触れた 「個人+AI」の副作用である孤立や対話の減少が、チーム全体に静かに広がっていく姿 そのものだと言えます。

  • メンバーは詰まるとまずAIに聞くようになり、ペアプログラミングやコードレビューでの 人と人の対話そのものが減っていく
  • PMとの定例は「AIが生成した仕様書を読み合わせる会」のように変質し、関係は事務的になっていく
  • 経営層からは「 AIコーディングのトークン消費量を追え 」と、現場の状態とはズレた一方的な指標だけが降ってくる
  • EM自身も、メンバーが本当は何に困っていて、どこにやりがいを感じているのかが見えなくなっていく

この「じわりじわりとチームから言葉と感情が消えていく」状況に、多くのEMが「他人事じゃない」と顔をしかめていました。

ここからディスカッションは「 この状況を、EMはどう打開していけるか? 」へと移っていきました。出てきた打開策は、新しいツールやプロセスを入れるという話ではなく、 EM自身の、メンバーやチームへの関わり方を変える ところに集中していきました。

  • AIに置き換わられる不安や、進化についていけない焦りを抱えるメンバー一人ひとりに、 声にならない感情も含めて寄り添う
  • 「自分たちはAIとどう働きたいのか」「どんなチームでありたいのか」を、 対話の中から引き出していく場を、EMが意図を持ってつくる
  • 経営層に対しても、トークン消費量ではなく、 チームに本当に起きている変化を翻訳して届ける

どれも、メンバーや場の感情に気づき、自分自身の不安を乗り越えて、安心して話せる関係性を築くところから始まります。つまり、 感情知性とコーチングを土台に持ったマネジメント が、この状況を打開するうえでの大きな鍵になります。

Day1が終わるころには、 「AI時代のマネジメントに感情知性は欠かせないのではないか」 という感覚が、参加したEMの間で共有されていきました。

個別セッションでは、私がコーチとしてEMの皆さん一人ひとりに向き合いました。ここは、プログラムの中でもとくに EM自身がコーチングを「受ける側」として体感する 重要なパートです。1回目は「ありたい姿」、2回目はアセスメントを踏まえて「現実の自分」をテーマに、60分ずつのセッションを行い、SmartHRのリーダーとして、一人の人間として、これからの人生におけるありたい姿や自身の強み、成長の機会をともに探索しました。普段は組織の言葉で語るEMの方が、ふと自分のキャリアの原点や、本当にやりたかったことを語り始める瞬間が何度もありました。コーチングを通じて自分のありたい姿が言葉になっていく体験そのものが、Day2でメンバーのありたい姿を引き出す側に回るときの、大きな手がかりになります。

Day2はオフラインでSmartHRの本社オフィスに集まり、コーチング理論を体系的に学び、その上でその実践を行いました。後半は、各自が自身のありたい姿の実現に向けて考えた学習アジェンダをもとに、3人組で「コーチ/コーチを受ける人/観察者」の役割を回す ピアコーチング を実施。お互いのありたい姿に向けた具体的なアクションを引き出し合いました。トレーニングのあとは飲み会を行い、EM同士がさらにつながりを深める場にもなりました。

参加者の声と、見え始めた変化

実際にやってみて、参加してくれたEMからは、こんな前向きな声が届きました。

「自身のリーダーとしての自己認識が高まった」

「アセスメントを通じて、自分自身がより成長したいと素直に感じられた」

「メンバーのありたい姿を引き出し、寄り添うコーチングを、これから現場で使っていけそう」

「コーチングのやり方そのものにフィードバックをもらえるのは、本当に貴重な機会だった」

そしていちばん私が背中を押された声が、これでした。

「この考え方は組織全体に広めたい。チーフ層にもぜひ受けてほしい」

「次は一緒に、チーフ向けの感情知性・コーチングトレーニングをやっていきたい」

トレーニングを「受けた人」が、次に「広げる人」になろうとしてくれている。設計者として、これ以上嬉しいことはありません。

一日で身につくものではない、だからこそ組織で

正直に言うと、感情知性やコーチングは、トレーニングを一度受けたら一日で身につくようなものではありません。

私自身、感情知性を本格的に学び始めて、はや4年以上が経ちます。それでも今でも、私は子供に怒ってしまうことがあります。

ただ── 怒ったあとに 「あ、いま自分は不安だったんだな」 と自分の感情に気づける瞬間が、以前より確実に増えました。目の前にいる息子の表情の奥にある感情に、少しずつ寄り添えるようになってきました。完璧な父親ではないかもしれません。でも、確実に変わってきている。それが、感情知性を学ぶということなのだと思います。

簡単に身につくものではなく、日々のやり取りの中で育むものだからこそ、感情知性は 個人の努力だけではなく、組織として伸ばし合っていくこと が大事だと感じています。フィードバックし合える関係、一緒にコーチングを練習し合える仲間がいる。そういう環境があってはじめて、感情知性は組織の中で育まれていきます。

AIの時代、 マネジメントの感情知性を通じて、メンバーの成長とチームの挑戦を引き出すこと が、組織づくりの鍵になる。

今の私は、そう確信に近いものを持っています。

このプログラムを受けてくれたEMの何名かとは、すでに チーフ層への展開 を一緒にやっていこうと話し始めています。感情知性の高い組織づくりに向けた一歩は、確実に始まっています。

冒頭で触れたように、AI時代には「個人+AI」で自律的に成果を出していく働き方が広がっていきます。その強さを活かしつつ、副作用までは持ち込まない── AIで一人ひとりを強くする。でも、一人にしない。 そんな組織を、日本の現場から一緒につくっていきたい。それが、感情知性とコーチングに私が大きな可能性を感じている理由です。

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